鳥取地方裁判所米子支部 昭和44年(ワ)123号 判決 1971年2月26日
原告
妹能義輝
ほか三名
被告
富田尊治
ほか二名
主文
被告富田尊治及び同金義雄は、各自原告妹能義輝に対し金四九万〇、二八五円、同妹能としゑ、同勝中つねこに対しそれぞれ金三一万五、〇〇〇円、同矢中秀郎に対し金一五万七、五〇〇円並びに右各金員に対する昭和四四年六月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らの右被告二名に対するその余の請求並びに被告金光得に対する請求を棄却する。
訴訟費用中原告らと右被告二名との間に生じた分は同被告らの負担とし、原告らと被告金光得との間に生じた分は原告らの負担とする。
この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
原告ら訴訟代理人は、「被告らは各自原告妹能義輝に対し金五七万円、同妹能としゑ、同勝中つねこに対しそれぞれ金三五万円、同矢中秀郎に対し金一七万五、〇〇〇円並びに右各金員に対する昭和四四年六月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び無担保の仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
一、本件交通事故の発生
日時 昭和四二年五月二二日午後六時過頃
場所 米子市二本木上之代五五六番地先国道九号線路上
事故車 被告義雄所有の小型乗用自動車(鳥五そ二一三号、以下単に被告車という。)
態様 被告富田は被告光得ほか一名の同乗する被告車を運転して蚊屋方面から淀江町方面に向つて時速約五〇キロメートルで進行中右場所において道路を横断途中の、原告らの母ないし祖母である訴外妹能てるの(八二歳)と衝突し、同女は右衝突により後頭部挫創、鼻骨開放骨折及び頭蓋底骨折などの重傷を受け、同日午後七時過米子市西町高島病院において右頭蓋底骨折により死亡した。
二、被告らの責任原因
本件交通事故の発生につき被告富田には次の過失があつた。すなわち、同被告は、本件現場に差掛つたとき進路前方約二六メートルの地点に道路を横断するため淀江町方面を振り向いて佇立している亡妹能てるのを発見し、その左側を通過しようとしたのであるが、かかる場合自動車運転者としては警音器を吹鳴して自車の接近を警告するとともに同女の動静を注視し、その行動に応じて避譲もしくは急停車の措置をとれるよう直ちに減速徐行し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り同女が自車の通過するまでそのまま停止してくれるものと軽信し、警音器吹鳴も減速もせず前記速度のまま前方約一〇〇メートル先を対向してくる他車を注視し、同女から目を離したまま進行した過失により、同女が自車道路を右から左へ横断するのを約一〇メートルに接近して初めて発見し、あわててハンドルを右に切り避けようとしたが間に合わず、同女に自車前部を衝突せしめたものである。従つて、同被告は民法七〇九条の規定により本件事故によつて蒙つた同女及び原告らの後記の損害を賠償する義務がある。
被告義雄はかねてより米子市吉岡地内において日野川ブロツクなる商号にてブロツクの製造、販売及び施工等を営んでいるものであり、同被告と同居する息子の被告光得に、右義雄の指示、命令を受けその意思に従つて義雄の業務に従事し、被告車を運転していたものであるが、本件事故当日被告光得は、被告義雄が請負い工事中の被告富田宅の現場に被告車で出かけて工事の施工監督をなし、その終了後学友の被告富田に被告車に貸与運転させ、自己も同乗中に本件事故となつたものである。民法七一五条の使用者責任は、被用者との関係に必ずしも雇用関係の存在を必要とせず、右の事実関係が存在すれば使用者責任を肯定すべきである。よつて、被告義雄は自動車保有者として、被告光得は義雄の業務補助者として、それぞれ民法七一五条並びに自動車損害賠償保障法の規定により本件事故によつて蒙つた亡てるの及び原告らの後記の損害を賠償する義務がある。
三、原告らの損害
亡てるのの相続人は、てるのの夫訴外妹能繁太郎、長男の原告義輝、二男亡失田貢雄は昭和七年死亡につきその長男の原告秀郎と長女の訴外妹沢美智了、長女の原告としゑ及び二女の原告つねこの六名である、各遺産相続したところ、右繁太郎は昭和四三年五月二八日死亡したので、右相続人五名が遺産相続をした。
右繁太郎は、生前に妻てるのの死亡による自動車損害賠償保障法所定の保険金一五〇万円を受領した。
本件事故による亡てるの及び原告らの損害は、右保険金相当額を控除しても、なお次のとおりである。
(一) 慰藉料 金一四〇万円
右は本件事故によつて蒙つた精神的打撃に対する亡てるのの慰藉料と原告ら自身の固有の慰藉料の総額であるが、その内訳は各相続分に応じ原告義輝、同としゑ、同つねこにつき各金三五万円、原告秀郎につき金一七万五、〇〇〇円である(なお、訴外妹沢美智子の分は本訴では請求されていない。)。
(二) 葬儀費用 金一五万円
右は、亡てるのの葬儀費用であつて、原告義輝がその全額を支出した。
(三) 弁護士費用 金七万円
原告らは原告代理人に本件訴訟委任し、原告義輝において弁護料として金七万円を支払つた。
四、そこで、被告らに対し、原告義輝においては右(一)の三五万円と(二)、(三)の合計金五七万円、原告としゑ、同つねこにおいてはそれぞれ右(一)の金三五万円、原告秀郎においては右(一)の金一七万五〇〇〇円並びに右各金員に対する本件事故の後である昭和四四年六月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
と述べた。〔証拠関係略〕
被告ら訴訟代理人は、請求棄却の判決を求め、答弁として、
一、請求の原因第一項の事実は認める。
二、同第二項中、被告義雄が父、被告光得が子であること、被告義雄が原告主張の営業を営み、被告光得がその業務に従事していることは認めるが、その余の事実は否認する。本件事故は、被害者の過失、すなわち老令で甚しく腰が曲つていて交通状態の見きわめもできないのに本件道路の中央に佇立して突然前後左右をも注視せずに横断を開始したことによつて発生したものである。また、本件は、被告光得が被告車を運転して人夫を迎えに行つているとき、この車が、新車であつたため被告富田が「一寸ドライブしてみるから借してくれ。」といつて、そのドライブ途中に起した事故である。従つて、被告義雄は事故のとき被告車に対し支配権を有していなかつたので保有者に該当しないし、被告光得も補助者ではなく、単に同乗していただけである。
三、同第三項中、責任保険金一五〇万円の受領の点は認めるが、損害の点は否認し、その余の事実は知らない。
と述べ、抗弁として、
仮に、被告富田に過失があり、被告らが若干の責任があるとしても、前記のとおり被害者にも過失があるので、過失相殺がなされるべきである。
と述べた。〔証拠関係略〕
理由
一、請求の原因第一項の本件交通事故の発生については、当事者間に争いがない。
二、被告富田の責任原因について
〔証拠略〕を斟酌すると、次の事実が認められる。
すなわち、本件交通事故現場は、人家の点在する非市街地内の国道九号線の道路上にあるが、右現場をはさむようにし「東側に原告義輝方の居宅などが、西側にその鶏舎などがあり、平地にある右道路は見通しのよいほぼ直線状のものでアスフアルト舗装され、道路の幅員は約九・二メートルで中央と両端に白色の区画線が引かれていたこと、当日は晴天で事故当時の明るさは自動車のライトをつけるほどまでは暗くなつてはおらず、その頃の交通量は多いほうであつたこと。被告富田は被告車を前記のとおり時速約五〇キロメートル」運転して本件現場に差掛つたとき、進路前方約二六メートルの道路中央の地点に腰のかなり曲つた本件被害者たる亡てるのが横断の中途身体を西北方面に向けながら淀江町方面を振り向いて佇立しているのを発見したのであるが、同被告は同女が自車の通過するまでそのまま停止していてくれるものと軽信し、警音器も吹鳴せず徐行もしないで右速度のままかなり先から対向してくる車を注視して同女から眼を離して進行を継続したため、助手席に乗車していた被告光得の大声をきいて自車のすぐ前を注視するまで同女の動向に気づかず、約一〇メートルに接近して初めて同女が自車進路を右から左へかけるようにして横断しているのを認め、あわててハンドルを右に切つて避けようとしたが間に合わず、同女に自車左前部を激突させて、前記のとおり傷害を負わせて死亡するにいたらしめたこと、以上の事実を認めることができ、被告本人富田の供述中右認定に反する部分は前記甲第四号の一、二に照らしてたやすく措信しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、本件交通事故は、被告富田が亡てるのを発見したとき警音器を吹鳴し徐行して同女の動向に注意して応急の措信をとつておれば避けることができたことは明白であり、これを怠つた間被告には右の点につき過失があるということができる。なお、被害者にも右認定事実からみて被告車に注意を払わなかつたか、または待つてくれるものと軽信して横断を続行したことがうかがわれるのであつて、いずれにしろ同女も注意しておれば事故を避け得たものと考えられるのである。それで、双方に過失があるとしなければならないが、その程度は、右の認定事実からいつて、亡てるのが一、被告富田が九の割合であると認定するのが相当である。
従つて、被告富田は、その過失によつて本件事故を発生せしめたものであるから、民法七〇九条の規定により右事故によつて蒙つた亡てるの及び原告らの後記の損害を賠償する義務を負うものである。
三、被告金らの責任原因について
被告車が被告義雄の所有であることは前記のとおりであり、そして、被告義雄がかねてより米子市吉岡地内において日野川ブロツクの商号でブロツクの製造、販売及び施工等を営んでいるものであり、かつ同被告と同居する息子の被告光得がその業務に従事していることは当事者間に争いがなく、更に、〔証拠略〕を総合すると、本件事故当日被告光得は、被告義雄が請負い工事中の被告富田宅のブロツク塀工事の現場に被告車を運転して出かけて工事の出来具合を見たり手伝つたりしたが(なお、当日も同現場で働いていた従業員を被告車で連れ帰ることになつていた。)、このとき友人の被告富田が被告車を見て良い車だから運転させてくれというので、これを承諾して、付近を一周することにしたこと、そこで被告富田が被告車を運転し、被告光得が前記のとおり助手席に乗車して出かけ、その途中で本件事故となつたこと、なお被告車は主として客の送迎用に使用されていたことが認められ、これに反する証拠はない。
右の事実によれば、被告義雄が日頃より被告車をその営業上の客などの送迎用などに供しており、事故当日もまた被告光得をして右営業の一つたる工事現場への往復のために使用させていたことは明らかであり、しかも被告光得がその使用の中途、工事現場においてたまたま工事発注者方の友人被告富田よりの要求で短時間の試乗を許し、被告光得も助手席に添乗していたというのであるから、以上のような事実関係のもとにおいては、いまだ被告義雄の運行支配や運行利益が継続しているものとみるのが相当である。従つて、被告富田の被告車の運転行為は、自動車損害賠償保障法三条にいう被告義雄のための運行の範囲内にあるものといわざるを得ず、被告義雄は、同条の規定により本件事故によつて蒙つたこと及び原告らの後記の損害を賠償すべき義務を免れることができない。
続いて被告光得の責任原因について考えるに、同被告には右の認定事実からみてなんらの不法行為と目すべき形跡はないのであるから、被告富田との共同不法行為を構成すべきいわれはなく、また、被告光得に民法七一五条二項の代理監督者の責任があると認めるに足りる証拠もなく、却つて、前記被告本人義雄の供述によれば、同人の営業は従業員一三人位を使用する程度のもので同人の長男滝一がこれを扶けており、被告光得は当時成年に達しておらず、工事の見習や自動車の運転業務に従事していただけであることが認められるのであるから、いわゆる単なる運行支配の補助者にしか過ぎず、被告光得の責任に帰すべき理由は存しない。
四、原告らの損害について
(一) 慰藉料
亡てるの及びその子である原告義輝、同としゑ、同つねこ、孫であり代表相続人である原告秀郎が本件交通事故によつてその相応の精神的打撃を受けたことは、原告本人義輝の供述に徴して明らかである。
右原告本人の供述によれば、亡てるのの相続人は原告ら主張のとおり、てるのの夫訴外妹能繁太郎、長男の原告義輝、二男亡矢中貞雄は昭和七年死亡につきその長男の原告秀郎と長女の訴外妹沢美智子、長女の原告としゑ及び二女の原告つねこの六名であり、各遺産相続したところ、右繁太郎は昭和四三年五月二八日死亡したので、右相続人五名が遺産相続をしたことが認められ、これに反する証拠はない。
右繁太郎において妻てるのの死亡による自動車損害賠償保障法所定の保険金一五〇万円を受領したことは、当事者間に争いがない。
そこで、右慰藉料の額について考えるに、本件交通事故の態様、亡てるのの年令、責任保険金の受領、被告富田において香典金一万円と花輪などを、被告金らにおいて香典金二万円と花輪などを贈つて慰謝していること(右原告本人の供述による。)その他弁論の全趣旨によつて認められる当事者双方の一切の事情を斟酌するときは、右保険金を控除してもなおその額は亡てるのと原告らの分をあわせて金一四〇万円が相当であると認める。そして、これを各原告ごとに相続分に応じて分けると、原告義輝、同としゑ、同つねこにつき各金三五万円あて、原告秀郎につき金一七万五、〇〇〇円あての慰藉料請求権となる。
(二) 葬儀費用
〔証拠略〕を総合すると、原告義輝は亡てるのの葬儀及び初七日忌などを主宰して取り行い、その費用として、御布施料、祠堂料、火葬場使用料、お花代、儀式の食品代等に合計金一二万四、七六二円を支出したことが認められ、これに反する証拠はない。右合計金は本件事故によつて生じた損害と認めるのが相当である。なお、右〔証拠略〕は、その記載内容からいつて香典返しのためのものと推定されるので、本件損害とは認められず、また〔証拠略〕は、その記載内容からいつて治療費と認められるので、葬儀費用には含まれない。
(三) 弁護士費用
〔証拠略〕によれば、原告らは原告ら代理人に本件訴訟委任をし、その罰金は後日協議決定することとし、その着手金として金七万円を原告義輝が支払つたことが認められ、右事実に弁論の全趣旨によつて認められる示談交渉の経過、本件事故の程度、請求額、認容額等の諸事情を斟酌するときは、本件事故によつて生じたとされるべき損害としての弁護士費用は金七万円が相当であると認める。
以上の次第で、原告義輝の損害賠償請求権の合計額は、金五四万四、七六二円となり、原告としゑ、同つねこの損害賠償請求権は各金三五万円あてとなり、原告秀郎の損害賠償請求権は金一七万五、〇〇〇円となるところ、前記のとおり亡てるのにも過失があるので、原告側の過失として前記の割合によつて過失相殺をすると本件賠償額は原告義輝分金四九万〇、二八五円(円未満切捨)、同としゑ分金三一万五、〇〇〇円、同つねこ分金三一万五、〇〇〇円、同秀郎分金一五万七、五〇〇円となる。
五、よつて、被告義雄及び被告富田は、連帯して、原告義輝に対し金四九万〇、二八五円、同としゑに対し金三一万五、〇〇〇円、同つねこに対し金三一万五、〇〇〇円、同秀郎に対し金一五万七、五〇〇円並びに右各金員に対する本件事故の後である昭和四四年六月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務を負うものである。
以上説示のとおり原告らの本訴請求は、右の限度で理由があるのでこれを認容し、原告らの被告義雄及び被告富田に対するその余の請求部分並びに被告光得に対する請求部分は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 福島敏男)